私の紹介

『笠井亮物語』

光る論戦力─首相は答弁に立てなかった

国会での笠井さん

  「笠井さんとは非核の政府を求める会常任世話人として十年来の友人」という塩田圧兵衛・東京都立大・立命館大名誉教授(83)。長期滞在先の長野県穂高町で、熱い思いを語ります。「あれだけ見識が豊富なのに、ひけらかさず、決して人を不快にしない人柄が好きなんですよ。核兵器廃絶という人類の最重要課題をはじめ山積する問題は、国政の場に笠井さんを求めています。この瞬間、国会に笠井さんがいないことは本当に残念。次の選挙では、できるだけのお手伝いをしたい」

150回に及ぶ質問

  笠井さんが参院議員を務めた2001年までの6年間。小泉首相まで歴代五内閣の首相と対決した150回に及ぶ質問は、論戦力の確かさを証明しています。

参院議員2年目の1997年11月。拓銀や山一の破たんを契機に、政府が銀行や証券の乱脈経営の穴埋めに国民の血税を湯水のように注ぎ込む一方、弱者切り捨ての「財政構造改革」法ゴリ押しで大荒れとなった国会が舞台。当時、笠井さんの秘書だった湯浅和己さんの証言です。

 「国会での質問準備は、終電車も過ぎ午前1時、2時はザラ。質問当日の朝までというのもしばしばでした。質問を毎日続けることがどれほど大変なことか。それを笠井さんはやってのけた」

 連日の特別委員会で「国民犠牲、浪費の温存、個人消費を冷え込ます」と同法の危険性を追及し、法案採決の本会議では日本共産党を代表して反対討論に立ちました。

 東京大学経済学部卒業後、同農学部でも学び、安保・外交に加え、金融・経済、農業分野での即戦カぶりは、予算委理事や農水委で実証ずみ。

 質問後、院内で行き会った小泉厚相(当時)が、「立場は違うけど聞かせたよ」と話しかけてきたのが98年4月1日の予算委での質問。消費税5%増税から丸1年のこの日、「消費税減税こそ実効ある景気対策」と橋本首相に迫り、「よくいってくれた」の電話やファックスが殺到しました。

“座敷牢”廃止へ

  「労働者の暮らしと権利を守る、ここに労働運動の原点がある」と語る成瀬昇・元愛知県地方労働組合評議会議長(77)。「笠井さんは、まさにそこを国会で追及されてきた。リストラ・賃下げ思いのままの今だからこそ、何としても国会に」と期待を寄せます。

 現実政治を動かす論戦力---99年7月には、小渕首相にリストラの実態を突き付け、退職に応じない労働者を閉じ込めた日本NCRの"座敷牢(ろう)"廃止につなげました。

 与党議員に「拍手したかったが、立場上、できなかったのがつらかった」といわせた質間があります。99年12月8日の予算委で沖縄・普天間基地の移設問題を取り上げ、米軍の使用期限をただしたのがそれ。

 小渕首相は答弁に立てず、米軍に問い合わすこともできない河野外相の答弁に、「どこの国の外務大臣か」と一喝。審議は中断しました。また、森首相や労相が答弁不能になったのは、2000年11月のKSD疑惑追及。与党席から「大臣、堂々と答弁せんかい」とヤジが飛びました。国会に不可欠の笠井さんです。