対談タイトル

(「前衛」2013年9月号より)

   原発廃止、憲法九条改悪反対などで積極的な発言をつづけている著名な仏教学者である浄土真宗本願寺派前住職で武蔵野大教授の山崎龍明氏と、日本共産党の笠井亮衆院議員が語り合いました(対談は都内で五月九日におこなわれました)。


政治はいのちの問題、仏教そのもの


   笠井    今日はありがとうございます。ざっくばらんにお話をうかがいたいと思って、楽しみにしておりました。
 最初に自己紹介させていただきますと、母が広島で原爆被害にあったので、被爆二世です。二度とあの悲劇を繰り返させてはいけない。それを原点にして反戦平和と核兵器廃絶の旗を高く掲げてきた共産党に出会って活動してきました。母は、今、家のすぐそばのアットホームな特養にお願いしています。私が行けば喜んでくれてすべてわかるのですが、みずからは言葉を発することが難しくなって、小さいころから聞かされてきた原爆体験を、もう直接は聞けなくなりましたが。

   山崎   おいくつですか。

   笠井    母は八二歳で、私はちょうどめぐりの年で六〇歳です。父が二十年以上前に他界し、母はその年に倒れて以来、だいぶ長い間の在宅も含めて介護してきました。

   山崎    そうですか。

   笠井    宗教とのかかわりでいいますと、私の父の叔父が、日蓮宗で佐渡の名刹の貫主をやっていました。私の連れ合いの出身は富山県で、浄土真宗のお寺が実家のすぐそばにあって、いつもお世話になっています。

   山崎    富山は浄土真宗が多いところですからね。

   笠井    はい。九月一八日の東京・千鳥ヶ淵での全戦没者追悼法要には、毎年、日本共産党の国会議員として出席しています。

   山崎    この全戦没者追悼法要には、各国の大使などにもご案内してとりおこなっているのですよ。

   笠井    いつも感銘を受けるのは、中学生、高校生の方が作文を朗読されますでしょう。すばらしい取り組みをなさっていますね。

   山崎    宗門系の中学生、高校生に「いのちの尊さ」「非戦・平和の大切さ」をテーマにして作文を募集していますが、持続していますね。本願寺の「門主」(宗主)は、親鸞聖人から二四代目ですが、戦没者法要当初から感銘的な法話をなさいました。僕は、ご門主がおみえにならなくなった翌年の法要で講演させていただきました。

   笠井    ああやって法要を続けてやってこられているのはすごいなと思います。

□戦争の悲惨さ、平和の大切さへの思い

   山崎    そうですね。それでも、このごろだいぶ変わってきましたが、二〇年くらい前には、社会の問題を坊さんから聞きたくないということがあった。けれども今は幸い、方向がずいぶん変わりました。先日も、仏教には五つの濁り、「五濁」というものがあるのですが、三〇〇人ほどを前に、自死の問題から反原発、憲法改悪の問題などをあげて、まさに五濁の時代ではないかという話をしました。そのときのアンケートをみると、高齢者の方は、仏教者がこういう問題を堂々としゃべるということを初めて聞いた、と書いていますね。僕は遠慮しながら、みなさんこれはたんなる政治の話として切り離すと間違いです、政治だって根本的にはいのちの問題であり、仏教そのものだ、違和感があったら、どんな質問にも答えますからと話をしました。本当によく聞いてくださってビックリしましたね。

   笠井    なるほど。本当にそうですね。

   山崎    学生諸君もそうです。今、大学で一年生の必修科目の「仏教概説」というのを教えています。毎年、半期一六回の講義で、現代の諸問題と仏教ということで、死刑の問題から自死の問題、憲法の問題、原発の問題などをとりあげています。それはお釈迦様や親鸞の教えとまったく矛盾しませんから。むしろ、仏教者はこれまでそういうことを蚊帳の外に残念ながらおいてきたわけでしょう。

   笠井    3・11が一つの契機になって、いのちや絆などいろいろなことを考えさせられましたね。私も原発ゼロをもとめて毎週金曜日、官邸前に行っています。もう一年以上、暑い日も、雨や風の日も、寒い日も、雪の日も、世代や立場の違いを超えて、原発再稼働反対、原発なくせと声を上げ続けてきた。私自身も「皆勤賞」といわれていますが、これだけの継続的な行動は史上かつてない素晴らしいものですね。

   山崎    僕も金曜日の官邸前行動に行きます。去年の暑い日でしたが、代々木公園の大集会にも行きました。

   笠井    一七万人がつどった7・16集会ですね。

   山崎    猛暑でしたがずいぶん集まりましたね。笠井さんとはいろいろなところでご一緒していたのですね。私たちは、とにかく持続して、声を出そうと。私は、仏教は心の問題≠ニ親鸞は説いていないのではないかといっています。たとえば親鸞は、八百年前の一番大事な本で、仏教者を不当にも弾圧し、死刑や流罪に処したことにたいして、天皇批判をしているのです。
  「主上・臣下、法に背き義に違し、忿を成し、怨を結ぶ。これによりて、真宗興隆の太祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥しく死罪に坐す。或は僧の儀を改め、姓名を賜うて遠流に処す。予はその一なり」と。天皇の側近が道理をわきまえずに不法に仏教者を断罪した。四人の坊さんを死刑にして八人を島流しにしたのです。  私は京都の龍谷大学出身ですが、二〇歳で疑問をもったのは、親鸞の批判した「主上」が、一番大事なテキストで欠字になっていることでした。先生方は、親鸞さんの言葉を一字一句、読み間違えても、おろそかにしてもいけない≠ニ講義するのに、テキストから消されたままになっている言葉がある、こんなのはいかさまではないかと思ったわけです。これが僕の仏教学者への最初の疑問でしたね。戦前ではなく、戦後の昭和三七年、一九六二年のことですから。

   笠井    そういうことがあったのですか。

   山崎    ええ。これは戦前、官憲から言われてやったのではなくて、学者がおもんばかって拝読を遠慮する個所として軍部に届けたのです。天皇制に関して読めなくされているところが数十個所あります。昭和一六年から二〇年にかけてのことです。二四歳の大学院生のとき、初めて仏教学会で発表したのが、仏教者の戦争責任についてです。
  私がかかわっている念仏者九条の会というのは、年配者が多いのです。九七歳のご門徒が最高齢だと思います。平和の大切さ、戦争の悲惨さを身をもって知っておられます。尊いですよね。

   笠井    そうですね。年配の方が戦争体験もおありになって、いのちという問題は宗教者にとって大事だということで、そうやっておられるのはすごいことですね。

□「屈辱の歴史」を若者が知り、継承する

   笠井    今年の四月二八日に沖縄へ行きました。日本の政府はサンフランシスコ講和条約で、沖縄を日本から切り離し米軍統治下においたわけでしょう。ところが、安倍政権が、四月二八日に「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を強行しました。それで沖縄の宜野湾市で開かれた抗議集会に参加してきました。

  山崎    僕もあの日、沖縄に行きたかったのですけれども、仕事の都合で沖縄にはいけなかったのです。それで、四月二八日は、東京・お茶の水で開かれた真の主権回復を求める集会に行き、控室へ伺い志位さんと会って「お世話になります」と言ってきました。会場いっぱいでしたね。ホール、廊下にも入りきれず人があふれていました。一〇〇〇人くらいと聞きました。

   笠井   そうでしたか。どうもありがとうございました。

  山崎   ただ、「記念式典」を尾崎咢堂(行雄)の憲政記念館でやったことが僕にはショックでした。安倍首相が、四月二八日という日にあそこを使う資格はないですよ。あの日は沖縄の人にとってどれだけ屈辱の日か。米軍の統治下におかれブルドーザーと銃剣と軍用犬で、農地をとられて米軍基地にされた、そういう日ですよ。本当にひどいことをやると思いましたね。

   笠井    そのとおりですね。四月二八日がどういう日かというのは、沖縄戦の体験者はご存知ですけれども、若い人にはよく知られていない。でも今回、政府が「記念式典」をやることになって、沖縄でおかしいという声があがり、若い人も初めて知って、一万人を超える人々が集会に参加しました。集会では、戦争体験のない青年団の人たちが、ズラッと壇上に並んで、恥ずかしながら私たちは四月二八日という屈辱の日を知らなかった。しかし今回、知ることになったので、戦争を知らない世代だけれども引き継いでやっていかなければいけない≠ニ決意を語っていました。安倍政権は改憲の動きを強めていますが、そういうなかで、「あの戦争はなんだったのか」「なんで憲法変えるのか」「なぜ九条なのか」ということを考える機会にして、私たちも頑張って、戦争体験を国民的に継承するようにしていかなければと思いますね。

  山崎   僕は、憲法九条を守るのは僕の遺言だといいつづけています。憲法九条に関する雑誌原稿を英文雑誌に寄稿したら、海外の青年から問い合わせがあって、「こんな憲法が日本にあるのですか」と驚かれました。

   笠井   私自身も、被爆二世として世界五十数カ国を訪れる機会があったのですが、どこでもストレートに、「憲法九条はすばらしい」といわれます。いい宝をもっている、九条があるから日本は信頼できるというんですね。

  山崎   僕の授業の受講者は二〇〇人ほどですが、日本国憲法を学んでくる機会がありませんから、ほとんど知らないし、読んだことがないといいますね。前文と九条や、基本的人権などを説明しているのですが、学生は熱心に聞いています。むしろ、国会議員が憲法を守る気持ちが希薄であるというのは異常です。

   笠井    今、衆議院憲法審査会には五〇人の委員がいますが、そのうち自民党の三一人をはじめ、四九人は改憲を主張する政党に属しています。憲法を守る立場なのは、日本共産党の私一人です。他党の委員からは、審査会のたびに改憲の発言が繰り返され、自民党の委員は「国民から見ると憲法の存在がとにかく遠くなっている」と平気で言います。自民党こそいちばん憲法から遠い存在であり、ふみにじってきたのですが。国民が権力を縛るのが憲法なのに、縛られる側の権力が九六条を変えて改憲のハードルを低くして勝手にやらせてくれという、主客転倒のことを平気でやろうとしています。

  山崎    そうですね。僕も授業で、憲法はなんのためにあるのか、権力の暴走、独走を防ぐためであり、人間が豊かに生きていく根本だと強調しています。


□紛争を戦争にしない知恵と努力こそ

   笠井    自民党の憲法草案は、まさに権力が国民を縛るという憲法のあり方を変えて、九条を変えるとともに、基本的人権についても「侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」と最高法規の核心として定めている九七条をなくしてしまおうというものです。言葉をかえていえば、憲法そのものをなくしてしまうといっていいくらいのものです。

  山崎    そうですよね。

   笠井   安倍首相は、九六条をかえて発議のハードルを下げてしまおうと露骨に言い出しました。自民党の石破幹事長もその先は九条改憲だとはっきりいっています。
  私自身も、戦争体験がない世代ですけれども、国会の論戦のなかでもあの戦争はなんだったのか、くりかえし問うのです。紛争、争いごとは人と人のあいだでもあるし、人類社会のなかで完全になくすことはむずかしいけれども、大事なことは、その争いごと、紛争を、戦争にしないことだと主張しています。ここが一番ポイントだと思います。
 日本には憲法九条があると胸を張っていえるし、その立場で外交の先頭に立って努力すべきですね。ところが、北朝鮮や中国の問題を持ち出して、日本も軍拡を強める、他国のミサイル基地を攻撃できる能力を持つようにするなどの議論が平然と持ち出されています。北朝鮮の問題にしても、中国との領土問題にしても、何より求められるのは道理にたった外交交渉によって解決をはかることです。それを、もっぱら「力対力」の立場で、憲法九条改悪に利用するのは、日本国民を危険にさらす最悪の姿勢といわなければなりません。だいたい、侵略戦争の反省のうえにできた憲法を守るべき総理大臣が、一人前の国はどこだって軍隊をもっている、自衛隊を国防軍にしなければおかしい≠ニいうこと自体、異様ですね。

  山崎   僕は、尖閣諸島の問題は一つの教材だと思っているのですよ。軍事力がないからなめられている、だから軍事力をもって強い国にするというけれど、それで世界の人が信用するのだろうか、ということですね。世界一の軍事力をもつアメリカは世界の人が信用しているかといえば、本当のところ信用していませんよね。仏教徒は、世界の人からすてきな国だと言われるような国をめざす者でなくてはなりません。これは常識です。そういう教えを説いていながら、軍事力をもたないと馬鹿にされると困るというのはおかしいわけですね。お釈迦様は馬鹿にされれば、されたらいい、どうと言うことはないと説いていますよ。仏教徒が軍陣のなかに身を投じるのは避けなければならないことだし、武力行使はもっともいけないと説いています。教えの一節としてそう説きながら、現実の問題になると軍事力に頼ろうとするのは誤りです。その落差はなくす必要がある。僕は、いつまで生きられるかわからないけれども、このことは若い諸君にバトンタッチしたいですね。

   笠井    イラク戦争でいえば、アメリカのブッシュ政権が、イラクに大量破壊兵器があるとして戦争を始めたけれど、その事実はなかった。あのときに日本の小泉首相が、アメリカが言うのでその通りです≠ニ真っ先に乗っかって、その後、自衛隊を派遣しました。フランスやドイツなど、世界中の国々が軍事介入はおかしいと言っていたなかで、何の検討もなく、ただアメリカがやるから日本も支持するといったわけですから、世界から見れば際立って異常ですね。

  山崎   『映画 日本国憲法』をみたのですが、いい映画でした。そのなかで自衛隊派遣にたいして、「将来、小泉さんはもっとも愚かな首相だと言われるだろう」というアメリカの学者のインタビューがあります。まさにおっしゃるとおり、国会で、見つからなかったということは大量破壊兵器がないということにはならない≠ネんていう無責任なことを平気でいうような人ですね。

   笠井    武力行使の根拠となる国連安保理決議もなく、大義とされた大量破壊兵器も存在しなかった。それが明々白々になっても、国際社会で、唯一反省がないのが日本政府で、いまだに開戦を支持したことの是非の検証すらしようとしていません。

  山崎   すり替えてしまう。しかし現実には、およそ四五〇〇人の若い兵士が死に、多くのイラクの市民などが死んでいる。では、その責任を誰がとるのか。僕は、イラク戦争と言いたくないから、主観的ですが、ブッシュ戦争と言っています。ブッシュ大統領が始めた勝手な戦争ですから。それにノーと言わないと、世の中はどんどんおかしくなりますものね。

   笠井    本当にそうですね。

□憲法の先駆性、すばらしさと壊そうとするもの

  山崎    伝統ある『大法輪』(二〇一三年三月号)という仏教雑誌に、「憲法九条は仏の願い」という一文を書きました。それにたいして、「あなたは安倍さんをどうしてそう悪く言うのか」「巻頭にこんな論文を載せるのは非常識」といった等の激越な反論もきました。しかし、そういうレベルの問題ではないのですがね。でも反応があることはありがたいですね。講演会で改憲の話をしたら、アンケートに憲法を変えることを批判するのが仏教ですか、というものがありました。僕は、すばらしい憲法を変えようということはいかなることかという批判をしているのです、と返事を出しました。こういう活動は、地道にやっていきませんとね。

   笠井   とても大事なことだと思います。先日、スピルバーグ監督の「リンカーン」という映画をみてきました。そのなかで「奴隷解放宣言」をしたあとに、アメリカの憲法を改正して奴隷制を廃止することに、やはり下院の三分の二の賛成が必要で、一回否決されるけれども、もう一回挑む。たいへん厳しい条件だけれど、「三分の二」のハードルを下げるという話は出てきませんよね。

  山崎   そうですね。私もみて感動しました。苦労して、苦労して、三分の二の賛成を得ようとしますね。  

   笠井    それもわずか二票差で可決される。共和党の議員が最後に、白人も黒人も「法の下には平等である」というわけですね。この言葉を聞いて、すぐ日本国憲法一四条が浮かびました。「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」。まさに、日本国憲法というのは、侵略戦争の反省のうえにたって、そういう世界のいいところを全部結集してつくりあげたものなんですね。

  山崎   だから僕は日本の憲法はこんなに先駆性がある、こんなにいいものを大事にしないでどうするのだ、その憲法を壊そうと言ったのは、戦後、日本への戦略を変えたアメリカだという話をします。映画「リンカーン」のことは授業でも話しているのですが、ラストの方で、リンカーンの側近が、この一年で大統領は一〇年老け込んだというシーンがあるのですが、それほどリンカーンは悩んだのです。日本の政治家もああいう緊張感をもって政治をやってもらわないと、国民は永遠に不幸ですよね。

□九六条改悪反対の一点で共同を

  山崎    日本の憲法の起草委員で人権条項などにかかわり、九条を憲法の真珠といったベアテ・シロタ・ゴードンさんが、昨年の末、一二月三〇日に八九歳で亡くなりました。娘さんの話によると、花束を届けてくれるという人がいたら、憲法九条を守ることに寄付をしてほしいと言ったことが報道されました。そういう精神が大事なはずですよね。ただ一方的に押しつけられたとか、自主憲法だというのはためにする議論で当時の背景を無視しています。

   笠井   そうですね。それも、若手の自民党議員が「押しつけ憲法だ」などといって改憲をさけんでいる。むしろ自民党でも、総裁だった河野洋平さん、幹事長をやった野中広務さんや古賀誠さんなどに、戦争は二度としてはいけない、憲法の平和主義は守るべきだという思いが非常に強いですね。国会のエレベーターで一緒になった自民党のベテラン議員が、「憲法を守ってよね、頼むよ」といってくるので、「だったら自民党のなかでがんばってくださいよ」と応じたら、「うちの党では改憲いけいけだし、民主党はだらしないし、維新は煽るだろう。共産党しか頼るところがないから」なんて。

  山崎   野中広務さんや古賀さんも、戦争の時代を生きて、けっこう苦労していますからね。  

   笠井    そういう点では、改憲派だったり、立場は違っても九六条だけは絶対に守らなければいけないという声が広がっています。今、憲法九六条改定反対の一点での共同を国会内外で、大いに広げていきたいと思っています。

   笠井    原発問題では、「宗教者は原子力発電所の廃止を求めます」という呼びかけを出されて、この署名にも取り組まれているそうですね。

  山崎   署名はだいぶ集まっていますね。僕は、みなさん、本当に子ども、お孫さんを愛するのだったら、このままの社会、世の中を、子ども、お孫さんに渡せますか≠ニ問いかけています。今の世のなかのあまりのひどさに、年配の方は共感してくださるし、原発廃止の署名も多くの方がしてくださいますね。なにか肌で感じてらっしゃるように思えますね。

   笠井   そうですね、年配の方は多くの命を奪った戦争も体験して苦労されてこられましたしね。同時に、私が心強く思っているのは、子育て中のパパ・ママ世代の人たちが、福島原発事故と放射能汚染問題で行動に立ち上がっていることです。

  山崎   ええ、赤ちゃんを抱いて、アピールされていますね。

   笠井    運動の広がりを感じますね。この宗教者の呼びかけをされているお名前を拝見すると、山崎さんをはじめ宗派・教派を超えたすばらしい方ばかりですね。原発立地の地元からも、福井の中嶌哲演さん(真言宗明通寺)とか、福島の早川篤雄さん(浄土宗宝鏡寺住職)などが入っておられる。

  山崎   北海道で一貫して平和運動やチェルノブイリ問題などにとりくんできた、旭川の住職の永江雅俊さんなども呼びかけ人に入っていますね。
 みんな原発反対だというのですが、選挙になるとそれが議席に反映されないという問題の根っこに何があるのかということも考えないといけない。ご承知のように、原発があるところでは言いたいことが言えないといった地域社会の問題がありますよね。それをこれから少しずつ変えていかないといけないですね。

   笠井   そうですね。結局、原発立地自治体などでも、原発への不安がものすごくあるし、原発はない方がいいと思っていても、最後は働き口や仕事という地域経済が問題になります。原発に頼らずに地域の経済をどうするかは、日本共産党が昨年九月に出した「即時原発ゼロ提言」でも重視したところです。原発推進政策を国がとってきたわけですから、原発をなくしても地域経済が成り立ち発展するように国の責任で支援することを要求しています。他の産業と違って、原発はモノカルチャーといいますか、その地域に関連産業は育たないわけです。定期検査で労働者がきても一時的です。むしろ、もともとその地域にあった産業をつぶしてしまったところもあります。そういうこともふくめて、「即時原発ゼロ」を決断して、再生可能エネルギーへの転換を本格的にはかるときですね。

□福島原発事故の危機的状況は続いている

   笠井   東京電力・福島原発事故では、民主党の野田政権が、一昨年一二月に「収束宣言」をしました。事故から二年目の今年三月に志位委員長らといっしょに福島第一原発の視察に入りましたが、「収束」どころではない深刻な現状をまのあたりにしました。

  山崎   ずいぶん奥の方にいかれたということですね。  

   笠井    四号機の吹き飛んだ建屋の最上部にものぼりました。最初、東電側からは、時間も短いからバスの中からみるだけということでしたが、交渉もして、時間を八〇分にのばして、汚染水貯蔵タンクや四号機のところで降りて視察することができました。あらかじめ免震重要棟で着替えるのですが、全面マスク、防護服、用意された分厚い靴下は二重に、靴も底の厚い特別のもので、手袋も綿手袋の上にゴム手袋を三枚という具合で、八〇分でもかなり疲れました。四号機の最上部にある線量計は二七八マイクロシーベルト、一号機、三号機の横をずっとバスで通るだけで、東電の説明だと一〇〇〇〜一八〇〇マイクロシーベルトと、かなり高い線量でした。この線量の中で、重装備で毎日重労働をされている作業員の方は肉体的にも精神的にも本当に大変だと実感しました。
 現状でいいますと、とりわけ深刻なのは汚染水です。地下水が毎日四百トン流入して、原子炉から放出された放射性物質と混じって新たな汚染水となり、外部に流出する危機的状況の瀬戸際にあります。東電は、結局、海に放出するつもりなのですね。

  山崎   ニュースに流れていましたね。

   笠井   汚染水を絶対に海に流してはいけません。「収束」どころではない、事故の真っ最中。これが福島第一原発のいまです。しかも原発事故の影響は広範囲にわたっていて、身近なところに放射能に汚染されたホットスポットがあったりする。くわえて風評被害は、いまも深刻です。先日、スーパーでもやしの特売があって一袋一八円でした。産地をみると栃木県日光市なんです。地元の自民党衆院議員も、栃木県ではもやしを出荷しているけれど、風評被害が深刻だといっていました。そういうこともふくめて、原発事故は進行形だし、被害の甚大さをつくづく痛感します。

  山崎   いわき市に行って被曝労働者の実態を勉強してきました。直接話を聞いてきましたが、想像以上の悲惨さでした。原発労働は過酷ですよ。自分で線量計を持たないようにしている。線量が超えると、「あなたは明日から来なくていい」と言われるので、食べていけないですから。そういうところにわれわれが依存しているということ自身が異常ですよね。さっきおっしゃったように、これからドンドン顕在化すると思いますよ。福島原発事故で受けた被害を考えると本当に深刻ですね。

   笠井    除染作業もたいへんです。線量が下がるのに時間がかかる、除染をしても除染をしていない森林から流れてくるわけでしょう。除染の作業をしても、危険手当が一万円ついているのにピンハネされる。受注しているのは原発をつくったゼネコンですから、結局、「原発利益共同体」が仕切ってやっているわけです。これは一つの象徴ですね。そういうウミを全部出し切らないといけないところにきていると思いますね。

  山崎   そうですね。去年の六月だったと思いますが、仙台で震災一周忌法要があって、講演する機会がありました。そのときに申し上げたことですが、地震や津波は自然現象だけれども、原発事故――僕は事故というよりも事件だと思っていますが、これは、自民党政権がやってきた原子力行政五〇年のつけです。ところが安倍政権は無関係のような顔をしている。

   笠井   「反省している」と口ではいうのですが、まったく伴っていません。

□原発輸出も再稼働も論外

  山崎   原発を地方に押しつけているのは、僕は明らかな地域差別だと思いますね。だから、国会議事堂の横に原発をつくればいいなどと言った時もあります。最近では、講演の最後に、原発がないと本当に豊かになれないのでしょうか、豊かさって何でしょうか、とみなさんに問題提起をしています。そうやって、国民が原発のない日本を考えているときに、安倍政権は、外遊して原発セールスマンよろしく原発を売り込む。福島の人にしてみれば悲しいことですよね。そんな感性もない人がリーダーだというのは、僕らにとっては不幸ですね。 

   笠井    本来、日本の首相として外国にいうべきは、「日本政府も国民も原発はもうこりごり。もう売りませんし、買わないでください」ということでなければなりません。福島原発事故の収束もできない、きちんと廃炉に向かうこともろくにやらないで、原発を輸出するし、再稼働ありきで穴だらけの新「規制基準」をクリアした原発は動かすというわけですから、まともな反省などなにもないのです。
 今年の夏で言うと、大飯三、四号機がいま動いていますが、本来ならば、七月に新「規制基準」が施行されれば、これらも稼働を止めてその基準で検査しなおさないといけないはずです。ところが、大飯三、四号機は九月の定期検査に入るまで運転を継続できるようにしておいて、ほかの原発をできるだけ早く動かせるようにしたいというわけですね。政府の需給検討委員会は、この夏の猛暑も大飯三、四号機がなくても乗り切れると試算しているのですから、そんな必要などありません。

  山崎   原発輸出と言ったっておたくの国は動いていないじゃないですかって、話ですよね。

   笠井   ええ、そういうことになるのを避けるためにも、再稼働に必死になっているわけですね。スリーマイル、チェルノブイリ、今度の福島での事故がいったい何を示しているのかということだと思うんですね。つきつめれば人類社会と原発が共存できないということになる。再稼働など論外だし、「即時原発ゼロ」の決断をして再稼働せずにそのまま廃炉にする、これ以外にないはずです。そこを踏み切らないと再生可能エネルギーへの転換も本腰が入っていきません。

  山崎   法律の壁もありますし、再生可能エネルギーの開発を具体的に考えないとできませんよね、本当にやる気があるのなら、そういうことに手をつけるでしょうけれども、その気がないですね。

   笠井    それでいて、再生可能エネルギーは不安定ではないかとかケチばかりつけるわけですね。風力、太陽光、太陽熱、小水力、地熱など、地域の特性にあわせていろいろ組み合わせて安定的なエネルギーになります。同時に、さきほどいわれたように、暮らし方の問題でも、大量に生産し大量に消費し大量に廃棄する、そういう社会でいいのかということが問われなければなりません。それは昔の生活へ戻れというのではなくて、原発事故から教訓を導き出して、それぞれの生き方、暮らし方を問い、エネルギーと社会のあり方を考え直していかなければいけないということですね。

□人間の煩悩性遮断し、「少欲知足」で生きる

  山崎   仏教で「少欲知足」という言葉があります。欲望を少しコントロールして、十のところを八にしましょうといっています。「少欲知足」というのは、昔から仏教者がよく使ってきた言葉です。現実に、国民の節電への意識がたかく、ずいぶん努力して効果をあげていますからね。 

   笠井    そうですよね。

  山崎   十のところを九、八にするとういう方向が大事で、それでしか人間は救われないということですね。

   笠井   電力会社や財界は、電力不足だと脅しにかかったけれども、国民は、暑い夏も寒い冬も乗り切りました。節電努力と、火力などで当面代替すれば大丈夫なことが実証されました。コストの面でも、原発のない沖縄と原発のある本土の電力料金はほとんどかわりません。原発こそ、ひとたび重大事故が起これば、収束、廃炉、除染、賠償に何兆円、何十兆円かかるかわからない究極の高コストです。そういうことも含めて、先ほどお話があったように、国民は、事故を契機に、生き方、暮らし方、いのち、つながりなどを見つめ直し、自分の問題として「原発ゼロの日本」を真剣に考えています。

  山崎   そうですね。津波とか地震とはちがって、原発というのは僕は根本的に人間の煩悩性だと思っています。もっと豊かに、もっと便利に、もっと快適になどといって、この日本に五四基もつくったわけでしょう。どうしようもなくなるのは明らかなのにアメリカの圧力を受けて、どんどんつくる、もう人間の煩悩の究極だと思います。それをきちっと遮断していく仏教思想というものを明確に打ち出していかないとだめだと思っています。いまこそ、そういう仏教が求められているのではないかと痛切に思います。私たちはけっこう自由にものを言えるのですよ。クビになるわけではないから。それでも学校の新聞に、「私たちは」という表現で、もんじゅのことを書いたら、「私たちは」というのは困る、「私」にしてくれというような変な話が出てくるわけですね。ことここに至ったら、原発の問題はどういう問題かということは、国民の一人ひとりが自覚していかないと取り返しのつかないことになると思っているのです。

   笠井    このあいだ、千葉の幕張メッセで二日間、ニコニコ動画の大きなイベントがありました。企業のほかにも政党も参加してという話があって、共産党もブースをつくって志位委員長も参加しました。私も原発問題で、官邸前の抗議行動に参加している人たちとトークしましたが、自民党もブースを出して宣伝カーを持ち込んで安倍首相が演説しました。自衛隊もブースを出して、自衛隊の戦車を持ち込んだのです。担当者に話を聞いたら、戦車の重量に耐えられる道を迂回しながら運んできたということでした。その戦車に安倍首相が迷彩服を着て乗り込む写真がインターネットに流れました。「村山談話」や「河野談話」の見直しを公言し、「侵略戦争の定義は国際的に定まっていない」という国会での答弁などとあいまって、安倍首相の歴史認識とはどういうものか、世界に発信してしまったわけです。
 ですから、韓国の朴槿恵大統領が米議会で講演し、歴史問題にふれて名指しはしないけれども、安倍首相の歴史認識を問うということになる。アメリカ側から議員や地方議会などさまざまなところから批判や抗議の声が出されるし、オバマ政権も中国や韓国などとの関係があるから、安倍首相にたいして戒めのコメントをだすわけですね。

  山崎    政治家の資質としてシビアに考えると、市民からいえば安倍首相は恥ずかしいですね。議員の靖国参拝を韓国や中国から批判されると、「脅しにも屈しない」というのですから。
 一国の総理がこういう問題で「脅し」などという言葉を使うことはあまりにも下品です。本音として彼はそう思っているからでしょうが、非常に貧困です。ところが、よく言ってくれたという声もある。仲間意識は、仲間はずれをつくるという言葉があります。たとえば韓国とアメリカが大規模な軍事演習をすれば、中国や北朝鮮だって黙ってはいられないでしょう。大学でも女子が三人でいつも一緒に食事したりする、その仲間に入ろうとしてもみんなが阻害するということと一緒だと思います。日米同盟なんていうのはそうですね。それが敵をつくることになっている。それは仏教者のとる道ではない。電車に乗っているとき喧嘩がはじまり、「同じ日本人同士だからなかよくしようよ」と言う人がいました。おかしいと思いました。日本人同士ならいいけど、韓国人ならどうするんだと思ってしまいました。これも仲間意識ですね。日米韓三国による合同演習がつくりだしている危険性に、誰も気づこうとしない。そこは北朝鮮云々という以前に考えるべきことではないでしょうか。同盟ではなく友好関係を構築することに努力すべきです。

   笠井   二月に韓国の朴槿恵大統領の就任式に、日韓議員連盟の各党議員とともに、志位委員長(議連顧問)と私も参加しました。朴大統領就任直後に最初に会った日本の党首が志位委員長で、言葉も交わす機会もありました。この訪韓中、韓国の政治学会幹部との懇談で、日本のある与党議員が、日本と韓国は同盟関係を結べると思うかと聞いたのですが、価値観的には一緒かもしれないけれども、歴史認識が違うから同盟関係はむずかしいだろう、むしろ歴史認識では韓国と中国の方が一致している≠ニいうのが先方の答えでした。質問した議員はショックを受けていましたが、日本がどう見られているのか、安倍政権はわかっていませんね。

   笠井    世界宗教者平和会議(WCRP)は、最近、どんなことをやられているんですか。以前、参議院選挙に立候補したとき、北陸信越も私の活動地域になって、現在は天台座主になられた半田孝淳さんと懇談する機会があって、長野・上田市の別所温泉にある常楽寺にもうかがいました。そのときも、反核平和にこだわっているとおっしゃっていました。お父さまが長野市の善光寺の名誉貫主で、原水爆禁止運動にかかわり、赤いはちまきをして市内を歩いて有名になったとか写真を見せていただきながら話をうかがいましたが、大切な活動ですね。

  山崎   そうですね。基本的にはいかなるいのちも抑圧されてはならないという立場での世界的な活動を展開しています。ご承知のように宗教や教団によって温度差もありなかなか一致しないという問題がありますが、最大公約数としてはいかなることにおいても核兵器を使用しないというレベルではなくて、核兵器を認めないということですね。

   笠井   四月、スイスや南アフリカが中心になってNPT(核不拡散条約)再検討会議準備委員会に核兵器の非人道性に関する共同声明を提出しましたが、日本政府は署名を拒否し、内外の大きな怒りを呼びました。その直後に、私は衆議院外務委員会で広島選出の岸田外相に質問しました。共同声明は、「いかなる状況下でも核兵器が使われないことは人類生存の共通の利益」と指摘しているのですが、日本政府が賛同を拒否したのは、状況によっては核兵器の使用が、人類生存の共通の利益になる¥鼾があるということなのかと。岸田外相も、さすがにそうだとは言えなかったのですが、わが国の安全保障環境を考えたときに、ふさわしい表現であるかどうか慎重な検討をおこなった結果℃^成しないことにしたと言うのです。結局、アメリカの「核の傘」に依存して、状況によっては核兵器を使うこともありうるという話になっていくんですね。

  山崎   アメリカの核のおかげで日本があるのだから、それは言えないということですね。何を考えているのかなと思いますが。安倍首相だから外務大臣もそんなことがいえたのではないか、という気がして仕方がないですね。八〇カ国が賛成したのに日本の政府は賛成しない。広島も長崎も彼らの中にはないのでしょう。  

   笠井    そうなんですね。そういう意味では核兵器廃絶の運動が、草の根でずっとつづけられて、毎年八月六日、九日を中心に原水爆禁止世界大会が開かれ、着実に発展してきていることはものすごく重要です。そのなかで、かつての自民党政権でも核兵器廃絶は「究極目標」と言っていたのが言えなくなる状況になってきていました。ただ、調べてみると民主党政権になって途中から「究極目標」とまた言いだすのです。国連に提出している決議案がそういう形になっていますし、外務省とやりとりしていても、核兵器は段階をふんでいずれはいつかなくなっていくという話をするわけです。アメリカの「核の傘」、日米軍事同盟が第一で、被爆国の立場を投げ捨ててしまう。国際的には核兵器禁止条約の交渉開始の要求が大きな流れになり、いまや多数派になっています。被爆国日本の政府がこんな状況では恥ずかしいということを国会でも引き続き追及していきたいと思います。

  山崎   WCRPはとくに世界の貧困と差別に関しては世界で連携してかなりとりくんでいます。たとえば僕は本当に頭が下がるのだけれども、伝統教団というのは何百年という歴史があって動きにくいという面があるかもしれませんが、新しい宗教の方々は、たとえば一食(いちじき)運動というのですが、家族で一カ月に二度ご飯をぬいてその分を献金しているのです。この運動は、立正佼成会などを中心としてやっていますね。それから差別と飢餓の克服にむけた取り組みもかなり持続してやっています。それでずいぶん共通項をもてるようになっています。WCRPには多数の宗教、団体などかなり広く入っていますから、それぞれの戦争観が違うということもあります。しかし戦争は絶対悪であり、戦争で人間が幸せになれないことは世界の人間が共通して認めていることだということはきちんと出していますね。

   笠井   そういう意味では「異なる価値観をもった諸文明の対話と共存の関係の確立」の大切さは、私たち日本共産党綱領でも掲げていますし、実感もしていることです。猪瀬都知事が、オリンピック開催をめぐって、イスラム社会を侮辱する発言をする。そこには、違った文明や価値観を認めない立場があると怒りを呼びましたね。

  山崎   率直に言って程度が低すぎますよね。そこにあるのは人間のおごりだと思います。

   笠井    その後安倍首相がトルコを訪問して、今度は一生懸命、尻ぬぐいをする。

  山崎   総理大臣が都知事の失態の後始末をして、さらに恥をかいている。国益というなら、それをそこなっているのはこの人たちだと思います。

   笠井   日本の財界も、最近は多国籍企業が中心になって、質が変化してきていますね。いま財界や大企業は、目先の利益ばかり追いかけて、肝心の日本経済をどうするかということについて、関心も責任ももっていないという状況が生まれています。

  山崎   そうですね。政府が財界のしもべになっています。安倍政権はかつての自民党の悪いところをそのまま踏襲している。夢も希望もありません。そのことを多くの人々に知ってもらいたいですね。  

   笠井    結局、そのしわ寄せは日本の働く人や中小企業にくるわけです。有名な企業も「ブラック企業」と呼ばれるように若者を使い捨てにし、働く人はたいへんな状況におかれる。ところが、安倍首相は財界と一緒になってトップセールス、その焦点が原発だとなっています。そういう政治の姿勢、あり方を根本的に変えないといけないと日々痛感しますね。

  山崎   安倍さんになってから、ますます希望がなくなるというか、このままいったらほんとうに怖いですね。原発も将来の経済も憲法も暗闇になります。

   笠井   そうですね。安倍政権の支持率の高さがいわれますが、「アベノミクスで暮らし、商売がよくなった方はいますか」と聞きますと、ほとんどいませんね。むしろ、所得が増えないどころか、電気料金、ガソリン、小麦粉、乳製品などが円安で値上がりして、とても経済がよくなったどころではないですから。アベノミクスで喜んでいるのは、株の利益や円安で黙っていてもお金が転がり込んでいる一部の富裕層と輸出大企業ぐらいですから。

  山崎   連鎖して物価が上がりますから、ドンドンひどくなりますよね。お金もち以外は生きていけなくなります。そんな国は美しいどころか、劣悪な国ですよ。

   笠井    そうですね。予算委員会で、デフレ不況の原因は国民の所得が減ったためなのだから、所得を増やす賃上げこそ必要ではないか、二六〇兆円もの大企業の内部留保の一%を賃上げに使うだけで、八割の大企業が月々一万円の賃上げができると具体的に提案しました。これを経済界にきちんと要請すべきだと求めたら、安倍首相は、「要請します」と答弁したんです。実際、経済三団体を官邸に呼んで要請はしました。その直後に、安倍首相自身が私に、「要請された通り、財界に賃上げを要請してきましたから」と言い、国会答弁でも、「私と笠井さんが全く同じ考えになるというのは非常に珍しいこと」といいながら答弁し、麻生財務大臣も、「共産党と自民党が一緒になって賃上げをやろうと言うのは、多分、歴史上始まって以来」といっていました。
 けれども、実際には、一部の大企業で一時金を上げたりしましたが、安倍首相になってから給与はほとんど上がっていないし、非正規雇用の労働者や中小企業にはまわっていません。しかも、社会保障は改悪されて負担は増えるし、消費税の連続増税もねらわれています。そんな暴走を食い止め、賃上げで景気回復へ、いよいよこれからが正念場です。

  山崎   原発については、僕はつくづく思うのですが、電力会社が政治家のカネづるになってきましたでしょう。それに、学者、専門家といわれる人々の罪が深いと思っています。それから司法だってそうです。静岡の浜岡原発の運転停止訴訟を支援してきましたが、上級審へいくほど、「原発は安全」という判決になっていきます。裁判官の責任も重いですね。福島原発事故が起きても誰も責任をとろうとしない。そういう人々が原発の「安全神話」をつくってきたわけですね。誰も自分の責任を明らかにしない、ひどい話ですよね。若者に何も言えないですよ。

   笠井   この「安全神話」が、今また新たな「安全神話」をつくろうとしていますから。福島原発事故のときは民主党政権でしたが、先ほど言われたように一番罪深いのは長年の原発を推進してきた自民党政治です。ところが、自民党は民主党政権を追及だけして、政権に戻ったらすぐに再稼働させようとするわけですから、とりわけ福島では安倍政権に対してきびしいです。ここでも政治の根本的転換が必要ですね。

□国会は丁々発止でこそ発展する

  山崎   本当ですね。だから政治のありようというのは身近なものとして、一人ひとりの国民がどう自覚するかということですよね。大学生の多くは、新聞を読んでいませんから、僕は、図書館にいって読みなさい、小さな記事に注意しなさいと言っています。西洋の諺に、「平和な時代と言われるのは、必ず次の戦争の準備がされていた時代だ」というものがあるのですが、いまが平和な時代とはいえませんが、ひょっとして今はその時代かもしれないですね。学生は、政治に無関心ともいわれたりしますが、二百人いれば何人かはちゃんと聞いてくれるし、自分で本を読んできて感想を言ってくれたりします。僕は教育の可能性を信じているのです。教育って大事ですよ。
 これはお世辞でも何でもなくて、国会中継を見ていると、共産党以外の質問は聞いてられないですね。とくに与党の質問は時間つぶしですね。あの緊張感のなさというのは何なのかなということを感じますよね。 

   笠井    そうなんですよね。どの問題でも、安倍政権ときっぱり対決して、抜本的対案をしめしていく、「自共対決」の時代の共産党ならではの役割の発揮しどころだと、国会の現場でも痛感します。

  山崎   僕は批判は創造の温床であると思っています。弁証法の正反合でしょう。一つに固まったらなにごとも堕落しますよね。国会質問などは丁々発止でないといけませんね。僕が尊敬する政治家は、足尾鉱毒事件で明治天皇に直訴して捕えられた田中正造です。彼はこういっています。「真の文明は、山を荒らさず川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と。原発はこの逆ですね。賛成、反対に二分して地域社会を崩壊させる、これは悲しいことですよね。水俣病のときも、補償等をめぐって地域に分断がもちこまれました。

   笠井   結局、そうなりますね。

  山崎   僕は通底していると思います。だから田中正造が「村を破らず」と言ったのは、大事なことなのです。二〇世紀初頭に、田中正造は、足尾鉱毒事件で明治天皇に直訴していますが、直訴状を書いたのは幸徳秋水です。幸徳秋水は大逆事件によって死刑になりますが、まったくの冤罪ですよね。山形有朋が、皇族暗殺の爆弾計画をつかって徹底的にアナーキストと社会主義者をつかまえたのですから。

   笠井    田中正造がくわしく書いていますよね。

  山崎   このことは一つの財産として、僕らは追体験し検証することが大事だと思っているんです。尾崎咢堂(行雄)も、「衆議院はすでに衆議院でなくしてたんなる評決院に過ぎない」ということを言っていますが、いい悪いは別にして、国会はまさに丁々発止とやることで、議論が発展していくのではないですか。 

   笠井    そうだと思いますね。私たちが、国民の願いや怒りをぶつけながら、道理ある主張をしていけば、時間がかかったりいろいろあるけれども、それが相手にも響いて、今の政権でもやらざるを得ない部分が必ず出てきます。そこがないと駄目だと思います。何かおたがいに駆け引きや、党利党略でどの政党が有利かということで、ひっかけるような質問もあったりしますが、それをやっていてもいいものは生まれてきませんね。だから、そういう意味ではこれからの日本をどうするか、本当の意味での国益を守る、つまり国民の利益を守ることを考えれば、もっとやることがあると思うのです。
 TPPにしても、多くの国民は、日本の農林漁業や医療、保険などがどうなるか、農業ができなくなって国民の胃袋が国内で守れなくなるとともに、日本の季節豊かな風景もなくなってしまうのではないか危惧し、反対の声があがっています。けれどもそんなこととは関係なしに、とにかくアメリカの要求を丸のみにし、財界の利益になるからと、国民の声や不安などお構いなしに突っ走ってしまう。

  山崎   そうですよね。本当に無責任としか言いようがないですね。僕ら素人にも、国民よりも党、党よりも自分の議席という図式が見え透いていますよね。

   笠井    TPPも、憲法もそうだし、原発でもそうなのだけれども、これだけは譲れないというところに国民はいまきているということだと思います。そういう意味では宗教者のみなさんとも地上の問題をめぐって共通するものがたくさんあると思います。日本共産党はもちろん信教の自由や政教分離を大事にしています。立場ではいろいろ違いながらも共同できることを大いにやりたいと思います。この原発廃止のよびかけの文面を拝見して、ピッタリくる、そういう感じですね。

  山崎   めざしているところが同じだと、そういうふうに必然的になりますよね。

   笠井    そうですね。

  山崎    親鸞を読んでいると、聖書との類似性がたくさんあります。同じとは言いませんし、世界観も違います。全知全能なる神から出発したキリスト教と、仏教はすべてのものは因と縁によって結果があるという縁起思想はまったく違うけれども、親鸞の『歎異抄』と、『マタイ伝』一〇章などは類似したことをいっているんですね。それは今おっしゃったように、一つのものを求めていくということは、当然そういうふうになるというか、共通項が出てくるのだと思います。

   笠井   私が好きなのは、国会図書館に掲げられている「真理がわれらを自由にする」(国会図書館法・前文)という言葉です。これはもともと『新約聖書』に由来するらしいのです。真理を探究、追究していくということは、われわれ自身を自由にする。それは、われわれの科学的社会主義がめざす方向とも合致するものだと。

  山崎    そうですよね。根源的な解放ですものね。私は仏教とかイスラム教とかキリスト教とかを言っている時代ではなくて、それぞれの宗教が何を求めようとしているか、どう歩もうとしているかということで連帯していくことが可能なのではないかと考えているのです。いつもそういうことを議論しているけれど、目に見えるものはないではないかという批判もあります。けれども、十年、二十年やって世界が平和になるという簡単なものではありません。しかし、その積み重ねを怠ってはいけないという強い思いがあります。

   笠井   そういう意味では社会や人類、あるいは国民にとって大事な問題を、キリスト教や仏教など宗派・教派をこえていろいろな方々がご一緒になってとりくまれているわけですからね。

  山崎   昔ではあり得ないことでした。彼がやっているのだったら降りるとかということもありました。ところが、いまはそれぞれが危機感をもって参加されています。一般的に仏教者というものは世俗を軽視していると言われますが、僕に言わせると、われわれは世俗そのものを生きているわけです。各教団には宗議会の選挙だってあるわけですから。西本願寺の宗議会は、明治時代にイギリスに留学した僧侶が持ち帰ってきたもので、本願寺は国会よりはやく議会制度をとりいれたわけです。トップである総長を選ぶときには選挙になります。世俗を軽蔑していながら、世俗そのものを生きていることを自覚していないということは、僕に言わせるとすごく不幸なことです。しかし、そういうなかで、核の問題、戦争の問題、原発の問題、憲法の問題を信仰の課題として担っていくことが必要です。  

   笠井    そうですね。

  山崎   だから宗平協、宗教者平和協議会の存在はものすごく大きいのです。壬生照順さんなど先輩方がずいぶん弾圧されたりしながら、組織と運動をつくりあげてくれましたから。僕は、絶望する暇があったら半歩、一歩踏み出すことだと思っているのです。絶望していても何も始まりませんし、仏教界は遅れているとか言ってたって、愚痴に過ぎませんからね。「一人では何もできない。しかし一人が始めなければ何も変わらない」というマザーテレサの言葉を私は大切にしています

   笠井   踏み出したところから開けていきますからね。

  山崎   そうなのです。そうすると、いろいろなつながり、縁が広がります。それはありがたいことですよね。

   笠井    私たちも感じているのですけれども、原発も憲法もTPPもそうなのですが、それぞれの一点での共同がグッと広がってきています。そして、それらが重なり合いながら、いまの財界中心、アメリカいいなり、歴史逆行のゆがんだ政治をただすことにつながっていく、そういう確信を深めているところです。

□恐怖と欠乏と戦争のない国と浄土

  山崎   仏教には地獄、餓鬼、畜生という境界をなくしたいという誓いがあるのです。他を排して争いをくり返す、これは地獄の世界です。餓鬼というのは永遠の欲求不満の世界です。満たされることを知らない。畜生とは、全体主義的な生き方、自分が自分として生きられない世界です。もし私の国がこういう国だったら仏にならないという菩薩の誓いがあります。
 このことをいつも講演で紹介するのですが、憲法前文にある欠乏と恐怖のない国ということと共通します。つまり、地獄、餓鬼、畜生を超えた世界です。経典を現代的に翻訳したらこうなりますね。そして、五つの濁りの時代の様相として、貧困と核、戦争の問題があると話します。そうするともっと聞きたいという感想が多かったのはうれしかったですね。関心をもってらっしゃるのだなと思って、心強くなりましたね。 

   笠井    そうですね。憲法の前文と同じとおっしゃったところが、自民党は気に入らないのですよ。それをアメリカの翻訳文だから、全部変えようというのが自民党の改憲案です。

  山崎   僕は一番大事だと思っています。憲法起草時のことをもっと勉強してもらいたいですね。

   笠井   本当にそうだと思いますね。

  山崎   僕は東京・小金井市の九条の会の会員なのですが、そこで「親鸞と憲法」という題で話しました。そうしたらいろいろな方が質問されました。そのなかでクリスチャンの方が何で憲法九条の会で親鸞を学ばなければいけないのか、出るまで躊躇していたというのです。しかし、今日、仏教というもののほんの一端にふれてよかったと言っておられましたね。だから正面から、そういうことをむしろ遠慮しないで聞いていただくということは、大事なことかもしれませんね。お隣の小平市の革新懇から話してくださいといわれています。

   笠井    いろいろな立場から一つのことをやるというので、またお互いにそのことを知ることが、その九条ということの値打ちを自分自身の認識でも厚みをもってとらえられるようになりますから、それは大事なことですね。

  山崎   いつまで生きられるかわからないのだから、一日一日それぞれの持ち場で自分を尽くすことがますます大事になっていますね。 

   笠井    そういうことだと思いますよね。そしてまた共通するところでは大いに力を寄せ合ってということですね。今日は長時間、ありがとうございました。また、よろしくお願いします。

  山崎   国会前の反原発デモでおみかけしておりましたが、本日はお逢いできてうれしかったです。ありがとうございました。