(2012年11月号「前衛」より)

[笠井 亮(党原発・エネルギー問題対策委員会責任者・衆院議員)に聞く]


「即時原発ゼロ」の実現いまこそ

──鮮明になる国民の世論・運動と原発固執勢力の対決の構図 (1)


 東京電力・福島第一原発事故から一年半余が経過しました。この間に「原発をなくせ」「原発ゼロの日本」を求めて全国で多彩なとりくみがすすめられ、国民的な世論とたたかいが空前の広がりをもって前進しています。民主党政権も、「過半の国民は原発に依存しない社会の実現を望んでいる」と認めざるをえないほど、国民の原発なくせの思いは揺るぎないものへと発展しています。  一方、何とかして原発を維持し推進しようとする財界、アメリカ、「原発利益共同体」の動きは、国民世論の高まりにおされて、なりふり構わないものになってきました。  「原発ゼロ」を望む国民世論に逆らって、原発再稼働を容認し原発に固執しつづけるのか、文字通りの「原発ゼロ」をただちに実現するのか──このことが鋭く問われるもとで、日本共産党は、九月二五日、「『即時原発ゼロ』の実現を」という「提言」を発表し、志位委員長が政府に申し入れました。


「原発ゼロ」求める世論の空前の広がり

 毎週金曜日の首相官邸前の行動は、すっかり定着し、毎週数万人から二〇万人の規模で市民が参加して、「再稼働反対」「原発いらない」「子どもを守れ、未来を守れ」とアピールしています。今年三月以来、二十数回を数え、のべ一〇〇万人超の人々が参加し、これに呼応した全国各地での同時多発行動は、一〇〇カ所を超えています。

 七月一六日には、代々木公園で「さよなら原発一〇万人集会」が開催され、集会名称を大きく超える一七万人が参加する大集会となりました。七月二九日には、官邸前行動をよびかけている首都圏反原発連合(反原連)と広範な諸団体・個人が協力したとりくみとして、「七・二九国会大包囲」がおこなわれ、約二〇万人が参加しました。

 これらのとりくみにたいして、野田首相は、最初は「大きな音だね」と雑音扱いにして大飯原発の再稼働を強行しました。大きな批判を浴びると、「多くの声が届いている」、「多くの声をしっかり受けとめている」と言わざるをえなくなりました。そして、八月二二日には、ついに反原連と野田首相の面会が実現しました。

 この面会では、反原連の人たちが口々に再稼働中止、全原発廃炉の政策への転換、原子力規制委員会人事案の撤回を求め、「一刻も早くゼロにする英断を希望する」と「原発ゼロ」の決断を求めました。野田首相は、再稼働を判断したことなどをくり返し、要求にこたえない姿勢に終始しましたが、反原連は見事に反論して、「承服しかねます」と抗議の意思を表明しました。

 首相官邸での総理面会のマスコミ取材は冒頭だけ、中継なしというのが従来の慣行でしたが、今回は反原連の強い要望を官邸側が受け入れ、すべてマスコミにオープンにさせただけでなく、官邸ホームページでインターネット中継を実現させ、面会時間も予定の二〇分間が三〇分間になるなど、異例づくめでした。


□議論すればするほど「原発ゼロ」が増大

 民主党政権は、今後のエネルギー・環境戦略について国民の意見を聞くとして、二〇三〇年に原発をどうするかということで、〇%、一五%、二〇〜二五%という三つのシナリオを出して、今年七月から八月にかけて「国民的議論」なるものを組織しました。全国一一カ所の意見聴取会には約一三〇〇人、パブリックコメントには約八万九〇〇〇件、「討論型世論調査」には二八六人が参加しました。

 当初、民主党政権は、一五%という選択肢が一番多くなるだろうという思惑でやったようですが、みずからの組織したやり方でも、討論すれば討論するほど「原発ゼロ」が増えていき、圧倒的という結果でした。パブリックコメントでも、再稼働反対、「即時原発ゼロ」が八割をしめるなど、国民世論の選択は、「原発ゼロ」が明確になりました。政府も、「年齢や性別での違いはあるにしても、少なくとも過半の国民は、原発に依存しない社会にしたいという方向性を共有している」と認めざるを得なくなったのです。

 このように福島原発事故から一年半余、「原発ゼロの日本」を願う国民の世論と運動が大きく広がっています。それは、原発事故はいまだに収束の見通しもたたなければ、被害が拡大している現実、原発事故がひとたびおきれば取り返しのつかない被害となること、その甚大さと深刻さ、恐ろしさを国民は実感しているからにほかなりません。政府・財界から、いくら原発がなければ「電力不足」になると執拗に脅されても屈することなく声をあげ、この夏の猛暑も原発がなくても乗り切れたという体験に裏打ちされたものです。

 「原発ゼロ」を求める国民世論は、決して一時のものでも、「感情論」でもなく、もはや国民みずからの実感にもとづく揺るぎないものとなっていることを示しています。


「原発ゼロ」に抵抗する財界・米国が前面に出てきた

 この国民世論にたいして頑強に抵抗する勢力として、財界・「原発利益共同体」、さらにアメリカが内政干渉的に圧力をかけていることが、国民の眼前にさらけだされてきました。

 「原発ゼロ」の国民世論の強さにあわてた原発固執勢力、推進勢力の側は、政府に絶対にゼロの言葉を決めさせない∞期限も決めさせない≠ニいうことで、なりふりかまわぬ形で民主党政権に猛烈な圧力をかけたのが、この間の閣議決定に至る経過でした。  民主党政権が、九月一四日に発表した「革新的エネルギー・環境戦略」は、「二〇三〇年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」というものでした。

 二〇三〇年代といえば二〇三九年までということですから、二七年も先のことです。私自身も八七歳になってしまいます。あまりに遅すぎるし、「稼働ゼロ」の目標もあいまいです。しかも、いまでも五〇基のうち二基しか稼働していないのに、あと二七年もかけて稼働ゼロにするというのでは、努力目標にもなりません。

 この「戦略」では、使用済み核燃料から新たな核燃料をつくる再処理事業も続けるとし、「安全性が確認された原発はこれを重要電源として活用する」としています。今後も再稼働をすすめるというわけです。こうして、あたかも「原発ゼロ」をめざすかのようなことを口にしながら、それとまったく矛盾する方向まで決めるという、「原発ゼロ」の国民世論に背を向けた先送り、原発固執の立場そのものの「戦略」といわなければなりません。

 この「戦略」が発表されたのは、ちょうど金曜日、官邸前行動の日。参加者からは、「政府の判断は承服できない」、「三〇年代なんて、そんな先まで待てない」、「こんなのを認めたら間違いなく何十年も引き延ばされる。即刻ゼロ以外ない」という厳しい批判がいっせいにあがったのは当然でした。


□財界と米国の圧力に屈した野田政権  

 ところが、こんな「戦略」でさえ閣議決定しようとする段になると、財界、アメリカから、「原発ゼロ」という言葉を絶対に閣議で決めるな≠ニいっそう猛烈な圧力がかけられました。

 財界は、日本経団連、経済同友会、日本商工会議所の三団体で共同の記者会見を開くという異例の対応をとりました。いわく、「国内産業も空洞化は加速し、雇用の維持が困難になる」、「米国との関係にも悪影響を与えるなど、国益を大きく損なう」など、いつものように国民に「脅し」をかけて、どんな形であれ「原発ゼロ」を盛り込むなと要求しました。

 野田首相はまた、アメリカにも首相補佐官らを派遣して、今回の「戦略」を説明して了解を求めようとしましたが、米側が、「二〇三〇年代」という期限をもうけることなど「原発ゼロ」の固定化につながるようなことを、「法律にしたり、閣議決定して政策をしばり、見直せなくなることを懸念する」と圧力をかけたのです(「東京」九月二二日付)。

 こうした露骨な財界とアメリカの理不尽な要求に屈した野田政権は、九月一九日の閣議で「『革新的エネルギー・環境戦略』を踏まえ、不断の検証と見直しを行いながら遂行する」ことだけを決めました。二〇三〇年代の原発稼働ゼロの政策さえ、閣議決定できなかったのです。

 さっそく枝野経産相は、工事許可を出している青森県・大間原発などの建設を認めました。着工済みの原発はほかに同県・東通原発一号機、島根県・島根原発三号機があります。そうなると、「四〇年運転制限制を厳格に適用」(「革新的エネルギー・環境戦略」)すれば、二〇五〇年代までの原発を容認することになります。実際には新増設といっていいもので、政府みずからが決めた「戦略」すら投げ捨て、さらに原発に固執する立場が早くも明らかになってしまいました。


□日米で新たにすすめていた原発推進の流れ  

 今年四月の日米首脳会談では、「民生用原子力協力に関する日米二国間委員会」の設置が決定され、七月二四日に第一回会合が開かれています。八月には、第三次アーミテージ・リポートが出され、商業用原子炉で日米の技術開発協力の推進を求めるなど、原発推進の圧力を強める流れがありました。

 ところが、アメリカと財界のいうことを聞くはずだった野田政権が、「原発ゼロ」の国民の世論と運動におされ、あいまいながらも「原発ゼロ」を口にせざるをえなくなったのです。財界やアメリカにとって見れば、空前の国民の歴史的たたかいは「想定外」だったのでしょう。これに恐れおののき、なりふり構わず前面にあらわれて、正面から「原発ゼロ」への抵抗を猛烈に始めたわけです。

 福島事故後も原発の継続・再稼働、原発輸出戦略を要求する財界とアメリカ、それに従う野田政権と、「原発ゼロ」を求める国民世論──この対決が非常に鮮明になっています。